築地市場から豊洲新市場への引っ越しがもめている。最近の豊洲新市場盛り土問題も、はたして本当にしたのかどうか疑念がもたれ、どの情報を信じたらいいのかわからない。
関東大震災のおりに築地の外人居留地を借りて始められた築地市場も、あまりの老朽化で最悪の状態にあるということは確かだ。戦争中は一隅に海軍の化学兵器研究室があったし、戦後は第五福竜丸の原爆まぐろがうめられたのも築地市場だった。
なによりも現在の築地に見られる開放型の市場では、水産食品の取り扱いに適さないというのも本当だろう。
そこに持ち上がったのが2020東京オリンピック。オリンピックの絶対的錦の御旗の元で、いくつかの事業が強引に進められてきた。道路建設もそのひとつ、さらに豊洲への引っ越し後の跡地利用が魑魅魍魎、都民の預かり知らぬところで情報が飛び交っている。
NHKの跡地移転が出たり、ひっこんだり、市場のまえに突然朝日新聞本社がたったように何らかの取引が蠢いているのだろう。
もっと奇怪なのはカジノ建設問題だ。インバウンドの総合誘致施設をつくるという名目でカジノ族が暗躍している。
豊洲移転をきっかけに仲卸で廃業予定の店も多く、すでに権利の売買で札束が踊っているという裏情報もあるので、小池ショックは以外なところで効いているのかもしれない。
外人観光客の名所になっているので、などというのはどうでもいいことだが、東京の最後の一等地なのでみんなが納得できる結論がほしい。いっそ「築地市場記念公園」にしたらいいという意見など傾聴に値するが、金の亡者がうようよしている現状では、とてもそんな自然主義は通らないだろう。
豊洲新市場の土壌については、いっこくも早く「安全宣言」をだせるような状態に持ち込み、前に進める。
築地の闇空間が解決されて、波除神社と海老塚、寿司塚、たまご塚の安泰がいちにちでも早く確認できる日を待ち望んでいる。
築地市場の真実
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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