間もなく消滅する築地魚河岸、消えるその前に記憶にとどめようと築地に足を伸ばした。
早朝のセリを見学するためには、早朝5時の受付というので4時過ぎに勝鬨橋のたもとに集合した。待ち合わせの友人と闇夜の挨拶をかわしていると、そこに守衛さんがやってきた。「セリ見学のかたですか。じつは今日は夜中の2時ごろから、外人さんが大勢来て3時には定員締切になりました。いまは桜の季節なので、お花見とセットで魚河岸が人気で、まもなく落ちつくと思いますが、今日はどうにもなりません。改めて出直してください。」 仕方がないので、せめて場内でも覗いていこうということになった。
ところが場内には世間の常識と全く違うルールがあった。
場内では車が優先、人間は二の次、表の常識は全く通用しない。
魚を運ぶターレーと呼ばれる小型トラックが最優先。ターレーに遠慮はない。
ターレーは市場内のあらゆる場所あらゆる通路から湧いてくる。360度回転可能な三輪運搬車、右から左から、前方から、うっかりすると後ろからも現れる。ぼやぼやしていたら引かれる。油断できない、神経を集中して、わが身の安全を確保し、かつ市場で働く人に迷惑をかけてはならない。
鮮度が命の商売だけにターレーは必至に走ってくる。狭い場所でのクイックターン、異常に短い制動距離、運転者は立ったままで大きなハンドルをあやつり、、第三者には想像のできない目的地にむかって走り来たり、走り去っていく。
第二次世界大戦後、資本わずか750万円の朝霞製作所のつくったこの小さなトラックは魚市場のスターだった。外の世界では決して見ることのできない交通地獄がそこにあった。
市場関係者はバタバタと呼んで、高価なまぐろも、豊漁のいわしも、氷もみなバタバタに託して商っている。
築地の帝王ターレー
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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