箱根大噴火 恐怖のシナリオ

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箱根大噴火 恐怖のシナリオ
 「箱根に行こう」「箱根にドライブしよう」「週末、箱根に泊まろうか」
 箱根は東京の若者にとって、青春のオアシスそのものだった。
 今はディズニーランドに行こうというが、あの頃はディズニー・ランドはなかったので、オアシスの主役は元町、湘南、箱根だったような気がする。
 江戸っ子は誰も「ハコネヤマ」とは言わない。「ハコネ」と「ハコネヤマ」は違う。
 「ハコネ」が愛情ある正しい呼び方で、「ハコネヤマ」は箱根知らずの呼び方だった。だからたまに箱根山などという奴がいると、こいつはお上りさんで東京人ではないという軽蔑の証しだった。
 大涌谷の噴火解説で、盛んにハコネヤマとよぶコメンテーターには、ああこいつは箱根を知らないな、ハコネ知らずのハコネヤマ解説と、ただちに認識して情報遮断する。
 … 噴煙からでた軽石や火山灰が東京で20㎝、横浜で40㎝、小田原で4m余り確認されました。
神奈川県のほぼ全域が火砕流に覆われたことも確認されています。 かっての破局噴火の解説だが、火山学者や災害ジャーナリストと称する人々が、そちこちで解説している。災害ジャーナリストにとっては、恐怖のシナリオは絶好の食の種でもある。
 テレビのワイドショウにも、俄ずくりのハコネヤマ断面図など登場して、ハコネしらずの女子アナが訳知りに解説しているのには閉口する。愛情あふれる箱根を語って欲しい。
 あの名物・黒たまごがもう食べられません残念です。
 お前は本当に食べたことあるのか、とタメグチを効きたくなる。 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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