耳が聴こえない青森一の不良娘が筆談だけで銀座No.1ホステスになった!というセンセーショナルなキャッチで、2009年5月に「筆談ホステス」を出し8月には8刷に到達、つづいて「筆談ホステス・67の愛言葉」も目下好評発売中という。斉藤里恵さんは幼いときから聴力を失い、中学生のころから酒やタバコに手を出し、青森一の不良娘と呼ばれ両親とも喧嘩が絶えなかった。ある時は包丁を手にした母親に追っかけられ殺される寸前までいったと告白している。高校も中退、青森でホステスになったが、「アフターからホテルにいってすこしでも稼いだら…」ママに執拗にいじめられ、上京して銀座のホステスとなり、A5サイズのメモ帳とボールペンを武器に遂に銀座のナンバー1に登りつめたというのが、そのストーリーだ。銀座に仕事の疲れを癒しに飲みに行くオジサンたちが門前市をなすというのも随分と無理な話だが、ハンディを乗り越えてオミズの世界を制覇するという成功秘話も30年前位のTVドラマに似た怪しさが漂う。そう思って本の奥付をみたら「光文社/エンタテインメント編集部」とあって、なるほど油断もスキもならないのは、本もTVも同じこと、と納得したのであった。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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