宮内省担当記者というのは、概して温和な優しい人が多い。そもそも取材の現場に、政治部とか社会部のような修羅場はなく、やんごとなき平和な状況のなかでの、お貸下げ情報が圧倒的に多いのだから、記者としてのカロリーを必要としていない。その上、天皇家皇族に対しては、メディアとしての批判精神をもたず、もっぱらお上大事に予定調和の記事を書けばお役目は無事務まる。
そんな宮内庁担当記者が、怒気を含んだ声で東宮大夫に迫ったというのだから普通ではない。
「今回のお付添いは、極め付けの茶番です。皇室の尊厳もくそもない!」 学習院初等科の二泊三日山中湖・校外学習についての発言だ。
はじめ雅子妃は子供たちといっしょのバスに乗せろと、学習院に要求したという。子供たちの自立をうながす重要なプログラムなのでそれは出来ない、と学校側が断ると、警備、職員7台の車をつらねての追尾大名旅行となった。生徒の泊まったホテルのインペリアル・スイートに泊まり、校外学習の周辺をうろうろした。アラフォーの近頃の母親と変わらない。白バイの厳戒態勢、現地山梨県警数十人の警備のもと、子供たちは校外学習を行った。
雅子妃という人は、わが子しか見えてない。将来皇后として国全体に目配りをしなければならないのにこの状態では困ったこと。周りの生徒たちにとってどんなに迷惑な行動だったか。言わずもがなの事件だ。
諫言しお止め下さいといえない、東宮職、東宮大夫も情けない。外務省の小和田スクールだからと見過ごしていたら、皇室の将来にとってますます不幸になり、ひいては国民全体が皇室の存在に疑問を抱くようになり、国体に影響するやもしれない。
10年たっても治らない適応障害はほぼ絶望的だ。モンスター・ピアレンツの象徴のようなこの雅子妃の行動に対し、ようやく声を上げ始めた宮内庁記者たちの明日を見守っていきたい。
立ち上がれ宮内庁記者
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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