秋刀魚の秋がきた

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秋刀魚の秋がきた
 秋は秋刀魚(さんま)にかぎる。
秋は松茸というのもあるが、近頃のマツタケ事情を考えたら、秋刀魚の足元にも及ばない。
秋刀魚は七輪と切り離せない。グリルで焼いたり、フライパンで焼いた秋刀魚は、秋刀魚ではない。
もうもうと煙のたった七輪の炭火こそが、秋刀魚のいちばん望む環境なのだ。
七輪に炭を盛り、半分破れた団扇でバタバタと風を送るシアワセを、近頃の主婦はしらない。
飛び散る火の粉をよけながら、七輪の火を熾すのは、その先に待っている秋刀魚の幸せを知っているからだ。
すこし焦げ目のついた秋刀魚に、すこし醤油のきいた大根おろしをもって食べるシアワセは、日本人の秋の贅沢ともいえる。
 あわれ秋かぜよ  情(こころ)あらば伝えてよ 
 ――男ありて  今日の夕餉にひとり  さんまを食いて思いにふけると。
 故ありて別れる妻と娘をまえに、せめてこの夕餉の団欒のひとときだけは夢であってくれるな、と願う男の
心情があふれて、秋刀魚のほろにがさにこころを託した、佐藤春夫の秋刀魚の歌である。
 さんま さんま  さんま苦いか塩っぱいか  
その上に熱き涙をしたたらせて  さんまを食ふは いずこの里のならいぞや。
殿様のサンマ自慢のはなしをきいた大名の追体験
 大名 サンマは美味しくなかった  殿さま—それはどこのサンマであったか 
 大名答えて—たしか房総産とききましたが、  殿さま— いかんな、サンマは目黒に限る!
 おなじみ目黒のさんまのサゲだが、目黒の秋刀魚まつりも、サンマ不漁のためいつまで続けられるか判らないということだ。
 明石家さんまは七輪で焼いたサンマの味をしっているのだろうか。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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