私、シャリ残す人だから…

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私、シャリ残す人だから…
 蝶ネクタイの5才位の少年が、カウンターに座るなり、「大トロ、サビ抜きで!」寿司やの親爺さんは、カッとなって「子供に食わせるスシは置いてねぇ!」1960年代後半のコラムにあった。
 80年代になると、子供連れの家族来店するや「アレッ!父さんこのお寿司屋さん回ってないよ!」あわてて母親が子供の口をおさえたというエピソードがあった。
 築地のまぐろ初セリで、回転ずし 対 久兵衛が話題を呼んだこともあったが、いまでは豊洲汚染の犯人探しが寿司ネタのはなしよりはるかに大きく、グルメ時代の筈が汚染時代となってしまった。
 最近若い女性が寿司やに足を運ぶようになったことは、寿司やにとって大変うれしいことだが、こんな現象が起こっているそうだ。
「…私、シャリ残す人だから。シャリ半分にして」「シャリ、太るから食べない。いま糖質制限してるから」
食べ残しのシャリを、ナマゴミのように積んでいたり、アガリ用の湯飲みにガッツリ詰め込んだり、近頃のお客さんは思わぬことをなさる方がふえました。…と嘆いている。
 寿司という文化対する認識がない。 すべて自己都合で物事を考えている。
寿司に直接醤油をかけるプッシュ式のテーブル醤油などの出現で、もはや半数以上の回転寿司から小皿消えたと言われいているが、元気のいい、ある時は客を怒鳴りつけたは寿司やの親爺は何処へいってしまつたのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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