神馬堂と葵家やきもち、上賀茂名物はどっち?

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 京都人よりも古く京都に住んでいた人のことを賀茂人という。その賀茂一族の氏神様が上賀茂、下鴨の二つの神社である。
 山城の国一之宮が世界遺産上賀茂神社という次第。そして上賀茂神社大鳥居の前に頑張っているのが、葵餅通称やきもちをつくっている二軒のやきもちやさんである。
どちらが本家というわけではないが、大鳥居に向かって右側にある葵家やきもち総本舗と左側にある神馬堂は、それぞれにきわだって特徴がある。
 左側の神馬堂はいわゆるクラシック・スタイル、厚い鉄板のうえで九つほどのやきもちをじっくり焼き上げて、並んだ客に順番に竹の皮につつんでわたしていた。
 早朝から客はならんで、ひとつひとつじっくりと焼くおばあちゃんの手元を見ながら、日がな文句も言わずもちの焼きあがるのを待っていた。
 神馬堂の客は気長でなけばならなかった。
 向かいの葵家やきもち総本舗は客を待たせなかった。観光バスから降りてきた客が押し寄せると、手際よくビニールに包まれたやきもちの箱詰めをわたしていた。
 包装紙も平安時代の御所車をあしらったいかにも京都のお土産風、当然のごとく駅のお土産売り場でも、デパートの京都催事でも「やきもち」といえば、葵家のやきもちが並んでいる。
 神馬堂のやきもちは日持ちがしない。焼き上げたその日のうちに召し上がってください、という今時信じられないほどの脚の短さ。
 焼き上げたやきもちを受け取って宿に持ち帰ったころ、ちょうど荒熱がとれて実に美味しい。丹波の粒あんと餅のバランスも良く、品のいい甘さと素朴で懐かしい味わいが口中を充たす。
 グレイの神馬のかたちに赤の鐙の神馬の包み紙も懐かしく、上賀茂神社の神馬舎のとなりにあったという歴史も語ってくれる。
 自在の鉄瓶がちんちんと湧くかたわらでやきもちを焼いていたおばあちゃんは旅立ってしまったが、いまでもたまに神馬堂の名にふれると、その後の神馬堂の「やきもち」が気になる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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