子供の頃、端午の節句が近ずくとあちこちの庭先に鯉のぼりが上がった。今ほどに電線が多くなかったような気がする。
鯉はのびのびと青空にひるがえっていた。本郷でも荻窪でも、鯉のぼりのための青空があった。それがいつの間にか姿を消し、アパートやマンションの窮屈なテラスにぶら下がる小さな鯉のぼりの模型のような鯉にかわった。
軽井沢に移り住んでから、さあこれからは大きな「鯉のぼり」がみられると思ったら、町中どこにも鯉のぼりはあがっていない。地元の人も別荘族も、子供の成長よりはスーパーの品揃えのほうに気がとられている。選挙になるとスローガンには、「子育てのしやすい町に」とか「子供のための補助金を」とか、子供子供と連呼するのだが、「鯉のぼり」を上げて「祝おう」とか、「祈ろう」といった心はもちあわせていない。
群馬のチベットといわれている神流川の上流に、日本一の「鯉のぼりの里」がある。
毎年五月になると山頂から対岸の静かな町に向かって8本のケーブルが張られる。一本のケーブルに100匹の鯉が繋がれ、合わせて800匹の鯉が神流川の空に泳ぐ。この鯉のぼりを支えているのは、僅か1700人しかいない神流町の人々、鯉のぼりの準備には、この町のほとんどの人がでて手伝う。100人たらずの神流の子供たちは、800匹の鯉に喜び、踊り、励まされて育つ。一生の宝物がこの「鯉のぼり」である。
チャイナ・コロナのお蔭で今年は中止になった。この地で鯉のぼりを上げて信州討伐に及んだと伝えられる日本武尊もさぞや落胆していることだろう。
神流川に伝説の鯉のぼり・800匹
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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