相撲が国技である理由は日本の神事だからだ。日本書記に登場する女相撲を始め、上賀茂の烏相撲、大三島の一人角力、諏訪上社の十五夜相撲を始め、赤ん坊の成長を願う泣き相撲も全国各地にある。相撲はこの国に生まれた農耕儀礼であり、祈りなのだ。
国技として国家から保護を受けるからには、それなりの規律も必要だろう。商売一辺倒の格闘技とは根本的に違う。なかでも相手が土俵をわったあと張り手をくわしたり、取組相手にガンをとばしたり、土俵上でガッツポーズをしたり、朝青竜の態度は実に不愉快そのもの。品格がないという次元を超えている。優勝のあと「朝青竜が帰えってきました」と誇らしげにいっていたが、出来れば帰ってきて欲しくなかった。モンゴルで金もうけに奔走し、いずれは格闘技に転向、その後は大統領になりたいという俗物に、「横綱」の名称を与えている日本相撲協会もよくわからない。新弟子になったら日本各地の相撲神事を訪ね、相撲のよつて立つ歴史を勉強させ、だから国技なのだということを理解させる努力位なさったら如何。
神事を格闘技にした朝青竜
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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