ふなっしーに弄ばれ、せんとくんに振り回され、日本全国「ゆるキャラ」造りに狂奔した10年がやっと終焉を迎えた。
ゆるキャラのもたらした10年とはなんだったんろう? この10年で日本人の美意識が大幅に低下したことだけは確かだといえる。「カワイイ」という女性的感覚と、幼児に寄り添う色彩趣味で、全国の自治体が縫いぐるみ作りに走ったのだから、そのエネルギーには驚く。
ヨーロッパの大人たちは「日本ってどんな国?」「歴史のないアメリカ人がディズニーの縫いぐるみを喜ぶのはわかるけど、日本には歴史があるし、神話もあるのに何故?」答えにつまった。
数年前のカンヌの映画祭で起こったこと。ジャパンデーのパーティの主役が、こともあろうに「くまモン」だった。
受付は変なロボット、ステージでのアトラクションはナントカ坂の少女たち……集まっていたのは世界の映画人たち、これは子供用の第一部で、この後第二部のフォーマル・パーティが用意されているものと合点した。ところがジャパンデーのパーティは、そのコドモ・ダマシで終わってしまった。
翌日映画祭の話題は、日本はどうなってしまったのか? 映画もなければ、映画祭への敬意もない。クロサワもオズも泣いているだろう。
「くまモン」というゆるキャラは世界に日本の恥をまきちらした。
長野でも「アルクマくん」というセンスの悪い色味の縫いぐるみと、全然受けなかった軽井沢の「ルイザちゃん」、可哀そうなのは無理矢理着せられた役場の職員たち、臭い縫いぐるみのなかで灼熱の夏、厳冬の冬、子供にコビを売ってご苦労様なことだった。
ゆるキャラ・グランプリもようやく終わって、明日からは大人のための行政をやって欲しい。幼児に媚びるのが、地方自治だと勘違いされては、正常な大人はかなわない。
祝 ! ゆるキャラ・グランブリの終焉
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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