キリスト暦の七夕まつりは終わったが、日本一の仙台七夕は八月の旧暦に開かれる。 伊達の殿様が藩民教育のために広めたといわれる「七夕かざり」、だんだんイベント化し、近頃では業者まかせの既製品が横行しているのは悲しい。
七夕の笹につける七つ飾りは、暮らしのなかのささやかな願いとして貴重なのだが、短冊に願い事をかく私本位の欲望だけが独り歩きし、残りの六つ飾りは忘れられている。
吹き流しは五色の糸に託した機織り、着物への感謝だし、折鶴は健康長寿、家族のなかの年長者の歳の数だけ織った祈りのかたち、粗末へのいましめから倹約のすすめに屑籠、裁縫の上達を願った紙衣、お金の大切を教えた巾着と、簡素な庶民の暮らしの祈りが込められていた。海の恵みへの感謝のしるしだった投網をわすれたことから、大津波が来たのかもしれない。
戦後、急にふえたくす玉、華やかだけのくす玉には七夕飾りの精神文化はない。
仙台七夕の東一番丁には、ひとつふたつは伝統的な七つ飾りの七夕がでる。味わい深く草木でそめられた七つの和紙飾りには、伝え造られてきた東北人の心が透けて見える。イベント屋の創った目だつだけの七夕かざりのなんと軽薄なことか。
軽井沢の近辺でも、上田に井戸替えの七夕まつりが伝承されている。井戸を綺麗にし、水神さまにたわしをかけ、水垢を落として新しい注連縄をかけ、水に感謝する。井戸のまわりに七夕飾りを廻らし、天の川と書かれた砂文字に子供達が線香を捧げる。無数の線香の淡い光に浮かぶ水辺の祈りが静かで美しい。昔は北国街道沿いにあちこちで開かれていた井戸替えの七夕祭りである。
祈りでありたい七夕飾り。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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