祇園町申年の始まり

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祇園町申年の始まり
 この日、お里帰りから戻ってきた人、連れだって香港への海外旅行から戻った人、或は道頓堀の芝居小屋で櫓くぐりをしてきた人、祇園町の芸子舞妓衆とお茶屋のおかあさん達、それに井上流のお師匠さん方、みんな打ち揃って甲部の歌舞練場に集まる。
 黒の正式のおひきずりが町を行き交うため、カメラおじさんやカメラおばさん、近頃では青い目の外人さんもスマホ片手に、露地から路地を追っかける。
 一月七日は恒例の祇園女紅場学園の始業式だ。この学校には始業式はあっても卒業式はない。
 歌舞練場のロビーは百人余りの芸子、舞妓が集まり、それぞれにお正月の挨拶を交わす。片隅では春4月都おどりの番付にのせるそれぞれの写真の撮影をしている。
 やがて始業式の始まりが告げられると、一同劇場客席に移動する。舞台には祇園町の総務さん以下役員のおかあさんが座り、上手には天照皇大神のお軸を中心に神棚がしつらえてある。
 総務さんのご挨拶の後、一同起立のうちに祇園芸舞妓の誓いを朗読し、新年の思いを新たに。去年の成績が発表される。お花の第一位は、愛嬌たっぷり丸顔の沙月さん、躾けのきびしいつる居さんの芸子さんだ。舞妓さんの第一位は多麻さんのまめ藤さん、毎年つぎつぎと出てくる若い芸子、舞妓の魅力によってこの町の歴史が作られて行く。
 しめは先年、人間国宝となった井上流家元井上八千代さんの倭文で舞い納め、祇園町申年の一年が始まる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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