祇園廣島家さんの「氷あずき」

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 ようやく「かき氷」の季節がきた。
 「かき氷」は平安時代からあったそうだが、庶民には手のとどかない高級品だった。
 清少納言枕草子には「あてなるもの…甘蔦(あまずら)をかけた削り氷」とあり、御所に奉仕する女御たちに人気のあったことが伺える。
 「小刀を取り、白い布で包んだ氷を片手で抑え削った」と藤原定家は書き残している。刀で削る高貴な夏菓子、それが「かき氷」だった。
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 明治の初めには、鉋でけずっているほんのり色っぽい築地の女将が描かれている。美人画の大家鏑木清方によるもの。
 庶民に普及したのは明治20年に手回しハンドルのかき氷機が発明されてからだという。
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 戦後、何もない時代、焼け跡の露店として出発したのは「氷」の旗をひるがえした「かき氷」だった。
 真っ赤な苺、メロンのグリーン、憧れのハワイはブルー、三色のシロップはみんな同じ味というのが不思議だった。
 いつか竹下通りの氷屋さんを覗いてびっくりした。氷のうえはケーキも驚く満艦飾、シロップどころかチョコレート、ピスタチオ、苺、アイスクリームとなんでもありの「かき氷」、店先を歩く若い女の子たちと競い合っての「ファッションかき氷」だつた。
氷あずき.jpg
 年齢とともにかき氷の趣味も色彩より味に変わってきた。
 祇園町のお茶屋広島家さんで出してくれる「氷あずき」がなんとも美味しい。
 舞妓さんのお運びも美味しいが、女将さんのお運びも美味しい。削り方と、あずきのバランスがはんなりと祇園らしいのだ。京都の夏の暑さを忘れさせてくれるひと時である。
 明日は祇園まつりの始まり、まもなく神輿洗いの夜がくる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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