祇園甲部に「多満葉(たまは)」という名妓がいる、というべきか、いたというべきか、暮も押し詰まった25日に引退した。
多麻さんという館で、仕込み、舞妓の修業を積み、芸妓になってからは、竹葉さんという歌舞伎役者もいちもく置くインテリお姐さんのもとで、祇園町の人気者として日々を送り、今日を迎えた。
決してスゴ美人ではない。蕗谷虹児描くところの丸顔系の嫌みのない顔付をしている。
地方育ちだったので、都のしきたりを知らず、先輩、同輩の仲間たちから言葉を習い、暮らしのルールが身につくまでは随分苦労したことと思う。
お茶屋でお客さんが酔って寝てしまうと、朝まで壁の花になって、じっと待ち続けるといった実直な人のいい芸妓さんだった。駆け引きのない真っ直ぐな性格が皆に愛され、幸せなとき、悲しいとき、いろいろあったようだが、芸妓になるために生まれてきたのが彼女だと評判されていた。
芸妓のまま、お茶屋の鑑札をとり、牡丹という店を出した。僅か4年前のこと、すぐ前には日頃お世話になっている大きなお茶屋もあり、苦労しながらも店は繁盛していた。彼女の忙しいときは、照豊、豆千鶴といった同輩たちが店を手伝い、華をとだえさせなかった。
軽井沢の我が家て゛「京舞」を見せたいからと頼むと、大きな荷物を背負ってきて舞を披露してくれたこともあった。店を始める時は、この借金はいつ返せるかしらと悩んでいたが、僅か三年のうちに完済したというから凄い。
その多満葉ちゃんが突然、店をしめ、芸妓から引退するという。恋をして結婚するというので、みなあっ気にとられた。店も順調で、いざアラフォー、女としてこれからという時の出来事だ。
祇園に刻んだひとりの女の歴史が終わり、次の若さに手渡されていく移し世のきめごとか。
祇園多満葉の引退
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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