祇園町北側切通しの進々堂さん……といえば祇園のお女将さんから芸妓、舞妓さんにいたるまで足を向けて寝られない。進々堂さんが無かったら、祇園町は機能麻痺におちいるかもしれない。
朝食はティファニーならぬ、進々堂さんというのが祇園町の当然である。朝起きたらまず進々堂さんに電話をかける。「コーヒーにトースト」あるいは「コーヒーにサラダにサンドウィッチ」トーストはバターなのか、ジャムなのか、サンドウィッチは玉子なのかハムなのか、サラダはコロッケサラダか、ハムサラダか、それぞれの好みを全部のみこんで、洗顔が終わった頃には「おはようさん」とポットに入ったコーヒーと暖かいサンドウィッチが届けられる。
祇園町では朝食は電話でというやかたが多い。筆者も祇園に泊まった朝はたいてい進々堂さんの世話になっている。
一年の締めくくりと歳のはじめの「まり」と呼ばれる舞妓さんへの配りものも、この進々堂さんでつくられている。ご主人の藤谷攻さんによって祇園町で配られるすべての「まり」がつくられている。
ご挨拶まわりを済ました舞妓さんがいくつもの「まり」を下げておこぼの音とともにやかたに帰ってくる風情はなんとも可愛らしい。「まり」のなかには紅、簪、アクセサリーから干支人形、あるいは茶道具、貯金箱までいろいろと入っているが、若い舞妓さんにとってお茶屋のおかあさんからいただく、この贈り物は楽しみいっぱいの幸せなのだ。
作家の先生方の新作展覧、舞のおさらい会の楽屋見舞い、あるいは南座の歌舞伎公演など、楽屋見舞いのアイス・コーヒー100人前とか、裏方衆へのサンドイッチ150人前、即座に対応してくれる祇園ならではのカフェである。今日の観世さんの演能にサンドイッチと飲み物とどけて、といえばなにもきかずに能楽堂の楽屋にとどいている、という「おもてなしの匠」ともいうべきカフェなのだ。
筆者もパリ展の折、いち早くパリのフジネットワークのボスに連絡をとってくださり、大変世話になった。切り通しの小さな喫茶店とおもったらとんでもない間違い、祇園町の裏のネットワークを司る進々堂さんなのだ。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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