何処で何に遭うかわからないのが現世の不思議なところ。
祇園で落逢って食事などしながら…という訳で、アルマーニの辣腕スタイリストと、大電通を作り上げた吉田家のスーパーミセスと、話題のレストラン、ジャッジョーロ祇園で逢うことになった。目的地は花見小路東側の末吉町切通し角、映画に必ずでてくる白川の辰巳大明神に抜ける手前の町屋にある。地理に詳しい方はすぐにわかるが、20人近い大惨事を起こした四条縄手通りを抜けるか、花見小路から四条通りを渡ってこなければならない。折からの京都は桜の満開で花見に浮かれた人の波で埋まっていた。
その混雑を走り抜けた暴走車ではひとたまりもない。東西は南座の辺りから一力さんまで、南北は花吉兆の手前建仁寺さん辺りから、祇園白川の向こうまで立ち入り禁止の非常線となった。そこいらじゅうに血が流れ、チョークで人型が書かれ、散乱した靴や持ち物にナンバー札が置かれ、傍らでは救急隊員が緊急治療をほどこしている。それはテレビでしか見たことのない犯罪現場の生々しい光景だった。もし後10分集まりが遅れていたら、あの悲惨な事故に巻き込まれていたかもしれない。
テンカンの病を持っていた運転手の青年は亡くなってしまったが、彼の働いていた藍工房にもいささかの縁があった。花見小路のその店は、一昨年軽井沢朗読座に出演してくれたルパン三世峯不二子の声、増山江威子さんの嫁ぎ先で、かってはお茶屋政田のあったところだ。
黄色の非常線テープをくぐって祇園甲部の歌舞練場へ向かったが、都をどりの最中も落ち着かない不安な気分にさいなまれた。
な
祇園の白昼夢
コメント
1件のフィードバック
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藍工房かなり、露出していました!
新作アニメ、峰不二子という女に影響が無かった事が、救いと言えば救いです!
今回はマスコミもニュースの焦点を何処に合わせるか分からなかったようです!
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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