祇園のお化け

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祇園のお化け
 年越しの節分の夜は、一年のなかでもっとも重要な日だ。
 陰から陽に移るこの節気はとかく悪霊や鬼が出やすいので、仮装して鬼の眼をくらまし、難を逃れるということで、「お化け」という習俗が行われてきた。「お化け」といっても「お化け」がでるのではなく、「お化け」になって悪霊の出現を防ぐ。
 江戸期には、町衆のあいだで盛んに行われていたが、そうした習俗に興味をもたない田舎者の流入によって都市部ではすっかり廃れてしまった。
 僅かに続けられていたのが、祇園町をはじめとする花街だつた。
 祇園町では今でも芸妓、舞妓たちが、半年前から秘かに示し合わせて、新しい歳の節気には何に扮して驚かそうかと、算段する。「おさん茂兵衛」「石川五右衛門」「藤娘」など色々だか、まま「AKB」などという破廉恥なのも登場する。
 この日ばかりは井上流も関係なく、他流のお師匠さんに習ったり、自分たちで工夫したりで、芸を作り上げる。朝早くから化粧してもらい、カツラ屋さんの世話になり、衣装つけをして節分の闇を待つ。
 暗くなると、お茶屋に繰り出し、お座敷をまわってお化けの芸を披露する。伴奏も地方さんでは間に合わないので、みなカセットに仕込み、ラジカセ持参の座敷芸となる。
 この日ばかりは客がお化けにお酌をし、祝儀をはずんで、ともに来る春の無病息災を願い、お化けを楽しむ。あちこちの館やお座敷を回ったお化けは最後に門前の家元に参じ、お師匠さん方の前で披露する。
 奮闘したお化けたちは、帰宅して衣装をぬぐと一斉にお祝儀が落ちる…この楽しみが忘れられず、はや来年のお化けのアイディアに心は飛ぶ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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