祇園に生まれた二人の舞妓さん

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祇園舞妓.png
 コロナ禍のお蔭で町は死んでいる。 
 飲食店やカフェも大変だったが、瀕死の状態に追い込まれたのが花街だった。
 密はダメ、お酒も駄目では花街は成り立たない。
 天下の祇園町といえども、手の下しようがない。
 お客様は消えてしまったし、この町を軸に暮らしている人すべてが機能停止に陥ってしまったのだ。
 お茶屋さん、料理屋さん、仕出し屋さん、衣裳やさん、鬘やさん、足袋やさん、おこぼやさん、扇やさん、悉皆さん、等々……おかあさん、男衆さん、芸妓さん、舞妓さん、見習いさん、お茶・お花・書・音曲・舞のお師匠さんにいたる総ての人々がコロナの被害で暮らしの道を断たれたという現実である。
 それでも甲斐性のある芸妓さんは、「お座敷なんて何時のことやろねぇ?」と健気に笑っているが、遠いところから憧れてやってきた舞妓さんには、何が何だかよくわからない。可哀そうやから、国へ帰ってもらいました、という女将さんもいるが、なかには、このスーパー不況をものともせず舞妓さんの店だしをするお茶屋さんもある。
 廣島家さんである。
 舞妓の小絹さんと小桜さんふたりの店だしをした。いずれもおねぇさんは高林の小扇さんである。小絹、小桜の二人がちゃんと育って芸妓として襟替えが出来るまで、小扇さんは面倒を見なければならない。もっと大変なのは廣島家のおかあさんである。
 舞妓が独り立ちして芸妓になるまで、家一軒分ぐらいはかかると言われているから、舞妓の店だしをするのは相当の覚悟がいるという。
 ふたたび祇園町に春がくるまで頑張ってほしいのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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