祇園甲部VS浅草、京舞・お座敷舞踊の饗宴という催しが東京のホテルであった。つまり東西踊りくらべということだが、これは較べるまでもなく勝負はわかっていた。
京都五花街…祇園甲部・先斗町・宮川町・上七軒・祇園新地のなかでも、井上流に支えられた祇園甲部は京舞の伝統を守った品格ある一門だ。若い舞妓のなかにはまだまだ人様のまえには出さないで欲しいと思われる芸道未熟もいるが、能から御殿舞の流れを受け継ぐ京舞のもつ雰囲気はある種圧倒的な品位をもつている。
一方、浅草は江戸のなかの江戸、下町そのもので人情はあっても美意識にはいちじるしく欠ける。端的にいえば美しくない、キレイではないのだ。品などというものは何処を探してもみつからない。浅草という花街がどういうシステムで、芸者衆の踊りを訓練しているのか知る由もないが、舞台を見る限りあまり感心しない。
衣装も、黒のおひきずりの祇園に対し、浅草は冴えない色の小紋柄がいかにも野暮で褒めようがない。こうした晴れがましい華やかな客席にまつたく映らない。イナセとか粋とか浅草のキャッチにあわない。三社祭とか宮古川といった浅草そのまんまといった曲目を踊ったのだが、久しぶりにつまらない「さわぎ」をみてしまった。踊りに切れがなく、浅草の心意気もなかった。
十二月から始まって紅葉売、わしが在所、黒髪をはさんで祇園小唄でしめた祇園甲部のてなれた人数舞の方がはるかに良かった。こうした饗宴の場での舞または踊りの気分について、東京は京都のまえに全く歯が立たなかった。本来地唄舞として小さな京舞が、花柳流の江戸歌舞伎風よりずっと大きく見えた。
祇園に歯が立たなかった浅草
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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