石本正さん95才の「裸婦無限」

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石本正さん 95才の「裸婦無限」
 ずっと欲しかった絵に石本正さんの絵があった。石本さんの絵には、女性への憧憬と存在が併存してただ美しいだけではない魅力があった。
 フジタ・ツグジの白い女にはない、白いおしろいの残り香がたっていろような何とも言えない妖艶さとロマンがあった。
 どうぞ見て下さい、とばかりに広げたキモノのうらは裸の女性に捧げられた花びらのようにみえた。一輪の花のまもなく散っていくはかなさと、大胆に正面をひろげた少女の一瞬の美への惜別があふれていた。
 よこたわった女に掛けられたキモノの間からほんの少しみえる白いもも、そのももが語っているのは若かった時への哀愁でもあろうか。
 描いている女性にいつも恋していたという石本さんが眼に浮かぶ。
 石見神楽の里、浜田に生まれたというのにも興味をもった。浜田には数え切れないほどの神楽團がある。それもひとつふたつではない。30とか40という単位で神楽團が存在する。石見神楽とよぶ。演目はいろいろあるが、良く知られているのは大蛇退治のド迫力な神楽、海外で開かれるジャパン・ウィークの出し物としてこれほど好適な作品はない。石見神楽は神事芸能であると共ににほんの娯楽芸能としても優れている。そうした神楽の里で幼少期をすごした石本正という芸術家に興味をもつた。
 60年代に精力的に描いた舞妓裸像には子供っぽさと大人っぽさが混在し、人間への賛歌が充ちていた。たまたま入った祇園の芸妓さんバーに、舞妓裸像がかかつていたが、その絵のおかげで店全体に気品と官能があふれていた。
 石本さんは作品をあまり描かず、生活に足りる程度で、寡作であったということも尊敬する理由だった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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