矢沢永吉といえば、ロック界のスーパースターであることは論をまたない。
かって美空ひばりを抜いて、長者番付歌手部門第一位になつたときには、反体制ロッカーでもそんなに金持ちなんだと、驚嘆し、不思議な気分に襲われた。
自身「成りあがり」と称し、本を出し、ウイーンやディズニーランドでゲリラ・ライブをしていたが、彼のミュージシャンとしての背景には、社会からはみだしたうつけものや無頼が大勢いて、そうした支持者とのもたれ合いで巨大なコンサートが成り立っているのだろうと想像していた。
その矢沢がクリスマスにディナーショーを開くというのには驚いた。それも六本木ヒルズのグランド・ハイヤット東京のボール・ルームでやるというので二度びっくり。さらなるびっくりはチケットが6万円というお値段だ。五木ひろしの5万円を抜いて、ディナーショー最高値の設定。
注意事項は派手なカラースーツ禁止、刺繍いりのスーツも禁止、あの矢沢タオルも持ってきてはならぬという厳しさ、矢沢永吉はロックを棄てたのだろうか。
いま世の中は秘密保護法やら、アベノミクスやらで、右傾化の道をたどっているが、ついに矢沢永吉までホテルのディナーショーとは、ロッカーもついに右傾化して物欲資本主義の走狗かと、感慨深い。
公式サイトで応募した客は、事前に顔写真を提出しなければならない、まるで天皇陛下の御前コンサートなみの警戒振りなのだ。野外で、球場で、武道館でのびのびと演奏してこそのロッカーではないか。
どう考えても矢沢永吉のコンサートに似つかわしくない。64才を迎えた矢沢もついに世間体のいいホテル・コンサートに身売りしたのだろうか。
YAZAWAのロゴの入った派手なタオルも想い出グッズに成り果て、なんでも鑑定団に出品されるのも、そう遠い日のことではないかもしれない。
矢沢永吉が右傾化した
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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