眼の経年劣化

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 ずっと視力は2.5あった。あまり勉強しないままに過ごしてきた。
 だから小学校の同級生で、円い黒縁の眼鏡を掛けた秀才はよほど勉強をする努力家だと、一方的に決めつけて尊敬していた。眼鏡の子はほぼ頭のいい子という先入観があった。
 戦争に負けてアメリカ兵がやって来たとき、サングラスも一緒にやつてきた。軍用指定だったのか、ジーアイはみんなレイバンのサングラスだつた。そのレイバンが、御徒町に流れ、初めにサングラスに手を出したのは、いわゆる不良と言われた若者たちだった。
 大スター田中絹代がハリウッド外遊から帰って来たとき、サングラスを掛けて羽田空港に降り立った。日本中がサングラス騒動に巻き込まれた。信じられないことだが当時はサングラスの品性が問われた。
 気が付けば老眼に襲われていた。眼鏡が必要になった。
 六本木俳優座の隣にあった金鳳堂という眼鏡やさんで眼鏡を作った。遠近両用といわれたが、眼が疲れ肩が凝ってどうにもならない。その後色々な眼鏡やさんの世話になった。が結局カインズホームの980円眼鏡が一番眼にあって愛用してきた。
 年齢のせいか、更に老眼が進んだ。カインズにもはや眼にあう老眼鏡はない。教えられたのはアウトレットの眼鏡やさん、チタンのフレーム、ニコンのレンズで6000円余り。当分はこのアウトレット眼鏡で、PCや週刊誌と付き合っていこう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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