信州上田に美味いものあり、飴となずけるも飴にあらず、上田駅前近くレトロなビルにそれはある。
みすゞ飴本舗飯島商店のこと。信州特産のあんず、林檎、ぶどうを始め国産の果物の果汁を寒天、水飴で加工した名菓「みすゞ飴」の製造元である。
みすゞ飴は飴というよりはゼリーと言った方が本科に近いイメージだ。だから舐めないで噛むお菓子のたぐいと考えていただいた方が近い。飴と称しながら舐めないのだから、多くのお客さんから随分とクレームをつけられたことだろう。創始者である先々代は振返ることなく「みすず飴」を通し、今日の名声を得た。
面白いのは森永製菓の創業者森永太一郎と、みすゞ飴創業者の飯島新三郎が同志だったという事実である。
明治21年東京深川の大水により、大量の浸水米が発生した。飯島新三郎はこれを全部買取り、酒造りと同じく六割まで削って水飴の製品化に成功した。当時創業したての森永さんのところでは、キャラメル開発に成功し
無尽蔵に欲しい水飴が信州上田で作られていたということから、ふたりの協力が成立した。
キャラメルの爆発的人気を横目に飯島は、ただ水飴を売るだけではなく、信州ならではのものは出来ないものかと試行錯誤のすえに完成したのが、特産の果物果汁と水飴で作る「みすゞ飴」だった。
今では「四季のジャム」「三宝柑福居袋」「生ゼリー」真田丸に因んだ「阿梅姫」「フルーツ杏みつ」などみすゞ飴とともに展開しているが、いずれも果物を主役にしたものばかりを作っている。拙宅でもジャムなどままお使いものにするが、これは美味しいと好評を得ている。
軽井沢ではないのが残念だが、いかにも信州人らしい実直なモノづくりで評判なのだ。
真田城下のみすゞ飴
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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