久しぶりにとんでもないコンサートにであった。
「高原で聴く音楽の散歩」と題するグローバル・クラシック・コンサートである。
軽井沢で3泊4日の旅を楽しみ、その最終日を大賀ホールでクラシックを楽しむという趣旨らしいのだが、ホールはほぼ400人以上の観客でいっぱいだつた。
水曜日の3時開演という珍しい設定だったが、折角お招きをうけたので客席の隅に座った。
このホールができたときには理事に名前を連ね、いろいろと参画したのでいささか懐かしくもあり、すこしばかりの愛情もある。
コンサートが始まった。
イントロはギターのソロで始まったのだが、全く聞こえない。ミクサーは何処だと探しても見当たらない。
そのうちサックスを抱えた奏者が登場するや、大音量の演奏音、本日はサックスのリサイタルかといった風情、初めから板付きのピアノもどうしたことかピアニシモ、まったくアンサンブルになっていない。
トリオでありながら全くお互い無関心、かってに演奏しているバラバラ・コンサート、……やがてよく肥ったソプラノ登場、頑張ってオペラ風のアクションをしながら歌うのだが、声量不足で不安感がよぎる。あとから絡んだテノールは逆に声量過大で歌のニュアンスが伝わらない。ソプラノとのディユエットもバランスが取れず、女性の貧弱さが目立つばかり。
司会は宝塚くずれの男役、リアリティのないことおびただしい。さらに彼女ひとりがマイクをにぎって「すみれの花咲く頃」では、ステージの分裂症状も最高潮……クラシックのアナログ・コンサートなのか、それともマイク使用のポップスなのか、これが高原の最後の思い出ではあまりにも悲しい、そんなビックリコンサートだった。
ようするにステージをコントロールする責任者不在のコンサートなのだ。舞台の進行についていこうと努力していたのは照明さん位、音響は不在としかいいようもなく、なによりもコンサートの軸がないバラバラのステージだった。主催者は舞台をなめきっている。
軽井沢の印象がこれで締めくくりられては軽井沢が可哀そう、協力にFM軽井沢が名を連ね、軽井沢町が後援とは、なんと無責任なといわれてもいたしかたない。
真夏の昼の珍事……の大賀ホールであった。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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