子供時代、プールは四角いものと決まっていた。
泳ぐ鍛錬、泳ぐ授業をするところが、四角いプールだった。学校や公園にあるプールもみな四角だった。だからプールには競泳大会のイメージしかなかった。
のち、ビバリーヒルにいったとき、スター達のお屋敷のプールが丸かったり、ひょうたん型だつたりしたプールを前にして、イメージの貧困さを恥じた。水と戯れるのだから、丸くても変形でもいい筈だし、なによりも水はどんな形にもなるのだから自由な形のプールは、当たり前のことと気がついた。
と同時に、プールは水のある社交場であって、泳がなくてもいいということも気づかされた。
ラスベガスのホテルの、プールサイドのパーティでは誰も泳いでいなかった。プールサイドというしつらえがパーティを盛り上げているので、プールは舞台装置にしかすぎない。水面に映るタキシードと肌を大きく露出したイブニングはゆえなくロマンにあふれていた。甘い生活のインテリアとして必要なのが、プールだと気がついたのだが、もう手遅れだった。。
アカプルコのオーシャン・フロントのホテルには、部屋ごとにプールがついていた。あれは泳ぐためではなく、戯れるためだったのだ。だからハリウッドのスターたちは、みなお忍びでやってくる。
バリ島のホテルでは、眼のまえに南太平洋が広がっているのにその手前に広大なプールがあった。そのプールには流れ落ちる滝があり、その裏側にバーがあった。そのバーにいくには水着でなければいけなかった。
裸に近い男女が、カクテルをかわし、会話を楽しんでいた。横には貸し出し用のヨットがあり、そのヨットには二人用のベッドルームが付いていた。水は人々を解放し、すべてを忘れさせてくれる。
リゾートの夏の夜の小道具としてプールは最高のものだ。
軽井沢のプールは、妊婦やリハビリ、それに水泳教室というのが主目的で、パーティのためになどといったら、怒られる。それでも最高のリゾートと信じているのが、なんともカワイイ。
真夏の夜の大人のプール
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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