左に東京タワー、右にアメリカ大使館を望む病室で幾日かを過ごした。
ひさしぶりの入院だった。眼科である。
年齢から見ても、とうにやらなければならなかった手術だが、不便を感じることもなく日常過ごしてきたので、つい今日になってしまった。
担当の先生はもとより、随分多くの看護師さんに世話になった。
度々発生する検査、検査、居並ぶ検査機器の多さにたじろぎながらも、優しい語感の看護師さんに助けられた。懇切に病棟の説明をしてくれる看護師、体温、血圧を測りにきた看護師、点眼薬の何種類かをさしに来てくれた看護師、手術室でのお世話をしますと丁寧なご挨拶で現れた看護師さん、食事の時間になると現れる看護師、そして懐中電灯を片手に夜の見回りにそっと現れる看護師……かぞえきれないほどの看護師さんの世話になった。
すべての看護師さんが、個性を殺して患者の状況に寄り添ってくれる。すっと現れ、役割を果たすと、音もなく消えていく。
日本舞踊の舞台で立役の後ろにひかえ、持ち道具のチェンジや、衣装の直しを手伝う「後見」の役どころにイメージが重なった。後見は立役よりめだってはいけない。踊りの流れやタイミングを見計らってさっと行動する。優れた後見は立役より芸のたつひとの場合が多い。黒無地の衣裳に身を包んだ後見の身捌きが見事で、おもわず立役の上手が輝いて見えることすらある。
必要以上の個性を出さずに、医師や患者の状況に寄り添う技術にも、クラスがあるということを身に沁みて感じた二泊三日の病院生活だった。
看護師さんの立居振舞
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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