相田みつおというブランド商売

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 安っぽい詠嘆、みせかけの純朴さ、貧相な抒情、傲慢なへりくだり、嘘の弁解、名声への執着、悟り自慢、すべて虚飾の匂いがして我慢ならないというのは、「相田みつをワールド」への嵐山光三郎氏の反応だ。 泊まった旅館の廊下に相田みつをの色紙が飾ってあれば、二度と行かないし、居酒屋のトイレにかざつてあれば、すぐに店を出るという徹底的な相田嫌いである。
 一生勉強一生青春…相田みつお美術館では、生島ヒロシが、松岡修造が熱く語るイベントが開かれ、タダイマ「どじょう」のポストカードをミュージアム・ショップにて好評発売中。どこか違う、なにかが違う。相田みつおの周辺はひどく商売上手で嘘くさく、耳に心地いい解りやすいものが受ける時代だということを充分理解してブランド展開しているのが、みえみえなのだ。
 戦後の廃墟のなかで流行ったのが、武者小路実篤。「仲良きことは美しき哉」「君は君 我は我なり されど仲良き」仲見世でうられている短冊にも色紙にも木彫りの扁額にもやたらあって、戦争のあとの仲良しゴッコ、あの頃はまだ著作権などというビジネスもなく、敗戦という挫折のあとの処世訓みたいなものだったように思う。
 そもそも相田みつをというひとは、曹洞宗の高僧武井哲応の弟子だが、1954年から毎日書道展に7年連続入賞したのち、文筆に転じ詩集「にんげんだもの」「おかげさん」などで注目され、91年に道でころんで脳出血を起こし67歳の生涯をとじた。「つまずいたって いじゃないか にんげんだもの」自分は書家ではない。在家の坊主だ、と常々いっていたのだが、周辺が書の詩人だのいのちの詩人だのと持ち上げて、見事大衆的人気と商業的成功をかちえたのだ。作家や詩人たちは、メディアから相田みつおについての評価を問われると、黙ってしまう人が圧倒的に多い。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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