相撲にヒールはいらない。

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 朝青龍の引退事件以来、「ヒールとしての朝青龍は必要だった」「ヒールの彼は愛すべきだった」等、雑誌やワイド・ショウでそうした発言が目立っている。ヒールとよべば、如何にもの個性のように聴こえるが、直訳すれば悪人、悪玉、悪党のこと。反則攻撃、ラフファイト、挑発行為をくりかえすプロレス興業のキャストであるし、その根源をたどれば、「アメリカに於ける人種差別」「第二次世界大戦の敵国人」(勿論日本人も含まれる)「アラブ系」(イスラムへの侮蔑)などの偏見を利用した不愉快なキャラクターなのだ。ジャイアント馬場、グレート東郷もアメリカでは皆ヒールだったとわけしりにいう人もいるが、そんな情報はいらない。狂人ヒール、エゴイストヒール、ヘタレヒール、外敵ヒール、極悪同盟や悪役商会、獄門党はブロレスだけで充分、そんなものはスポーツとも呼べない、低俗そのものの興行なのだ。国技としての相撲に何時からヒールの存在を許すようになったのか知らないが、どう考えても土俵に悪役はいらない。そんな理不尽な存在を許すから、国技かスポーツか興行か、判らなくなってしまうのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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