相変わらずの無神経・日赤

by

in

 日赤が被災地仙台の地下鉄に資金集めのポスターを出したと聞いて、開いた口がふさがらない。
委託された義援金もくばらず、被害の全体像が把握できてから分配するという、被災者の心知らずのお役所仕事にはあきれたが、相変わらずの無神経ぶりには驚かされる。
 藤原紀香だのAKBを並べ、「人間を救うのは人間だ」というコピーにも、日赤の程度の低さが表れている。売れない芸人やガキ・タレントを人間の代表とかんがえているとすれば、まさに代理店並みの頭の悪さだし、根性は腐っている。 タレントを有難がる神経では、広く社会の赤十字活動など出来る筈がない。芸能プロダクションの宣伝活動に加わる日本赤十字社とは一体なんなのだろう。
 近衛忠煇社長はお飾りで、天下りの役人が運営している実態は想像つくが、被災地の真っただ中に、俺たちの活動資金を出せという広告キャンペーンをはるというのは、全く理解できない。
 世界中から寄せられた東日本救援のための海外義援金も、いまだ配られず日赤の口座に寝ていると伝えられている。ひょっとすると利息かせぎの中抜きヤクザではないかとさえ思えてくる。
 日赤の被災者支援活動の一部に生活家電セット贈呈というのがあるそうだが、これも忘れたころの手配で、仮設住宅入居時ではなく、やっと入居できた被災者が、なけなしの生活費から生活家電を揃えた頃、届けられるというなんとも間の抜けた、心ないやりかたと憤慨している被災者も多いときいている。
 被災地の残骸処理をほったらかしにし、太陽発電だの、再利用可能エネルギーなどのアドバルーンを懸命に上げている何処かの国の総理大臣とまったく同じ体質なのだ。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ