目黒川からの贈りもの

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 目黒川…桜並木と雑貨やと小さなブティックというのが、今時の目黒川のイメージだ。
 が僕らの青春のころ、彼女を目黒川には連れて行けなかった。お花見は千鳥ヶ淵か洗足池、つまりラブホテルや温泉マーク付の旅館のないところでなければいけなかった。
 目黒エンペラーというディズニーのお城のようなラブホテルが、目黒川沿いに華やかにネオンサインを掲げたとき、ラブホテルの歴史が始まった。 「吉原・二丁目・目黒川」と揶揄され、怪しげな照明と安っぽいシャンデリアのラブホテルは、目黒川のイメージを一新した。
 お洒落なドレメの女の子も、良家の子女も、目黒川には近寄らなかったが、千葉や埼玉からニワカ・カップルが押し寄せ、外国みたいだったぜ、と朝の光を浴びて帰っていった。
 それ以後、目黒エンペラーという言葉は、猥褻の象徴となり、下ネタのキーワードになった。
 やがてラブホの歴史の記念碑的存在だった目黒エンペラーはつぶれたが、いま同じ名前のホテル・スタジオが復活している。高級感あふれるメゾネット・スタイルの撮影スタジオだという。ベッドもソファもシャワーも完全完備のスタジオだから、重宝なことこのうえなし。平日7時間パック ¥22、800というのも泣かせる。 すっかり貧乏になってしまった深夜の怪しげなテレビ・ドラマや、AVにとっては、救いの神のホテル・スタジオだ。 目黒エンペラーは死なず、相変わらずシモ産業の一翼をになっている。
 さて、その目黒川の一隅から、お洒落な著作が送られて来た。仕事場を目黒川のほとりに持ったとある。その土地、風土の匂いや性格は、時の流れとともにすっかり変わってしまった。
 「オードリー・ヘップバーンという生き方」と題された本が、あの目黒川の一隅から生まれたのは、時の氏神の悪戯でもあろうか。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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