白鵬引退を勧告すべし

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 たまたま大相撲名古屋場所の十四日、15日を見てしまった。
 照ノ富士の復調と白鵬の全勝がつたえられていたので。  …見た後で嫌な気分に襲われた。
 これは大相撲ではない、田舎の草相撲にも劣る、とんでもないプロスポーツだと感じた。
 千秋楽の大一番では、横綱がいきなり強烈な右エルボーをくりだした。 そして左右のビンタである。ある意味プロレスよりもひどい取口だ。
 即座に審判は止めるべきだった。伝統的な国技にあんな取口は許されていない。勝ちさえすればなんでもあり、という喧嘩相撲なのだ。横綱の品格云々というのが、メディアの口調はその日の白鵬の優勝にさすが白鵬の賛辞ばかり、いかにメディアが腐っているかの證明だった。
 十四日目の対正代戦にも驚いた。正代が両手をついて仕切や否や、いきなり横綱は特俵までさがって手をつき立ち合った。正代は正式の立ち合いの間合を計って戦略を練っていたに違いないのだが、横綱がいきなり徳俵まで後退して仕切るなど思いも及ばなかっただろう。その後は正代の横面を張っての浴びせ倒しである。これまた不愉快極まりない取口であった。
 以上の二番をみただけでも、まったく伝統的な大相撲ではなかった。ましてや国技などと到底いえるものではない。
 横綱審議委員会は直ちに白鵬にたいして引退を勧告すへきだし、一代親方の特例も認めるべきでない。
 白鵬はこの国の伝統にたいして破壊工作をする中国共産党に比すべき存在なのだ。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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