1950年代のテネシー州メンフィスが背景。白人と黒人の人種隔離政策はきびしく、いまの若者達には想像もできないあらゆる処あらゆる場合絶対に触れ合ってはならない規律が社会を支配していた。レストランもカフェもトイレもラジオも音楽もみな白黒それぞれの縄張りがあり、どこまでいつても白人の優位社会…それがアメリカだつた。
白人のDJヒューイーが、黒人専用クラブで黒人歌手フェリシィアの歌にノックアウトされるところから、ストーリーは始まる。カントリーウェスタンとブロードウェイ・ミュージカルがすべてだった白い音楽にとつて、黒人たちの歌うレイス・ミュージック、リズム・アンド・ブルースはあまりにも大きな衝撃だった。以来白いラジオにビートのきいた黒い音楽が登場し、若者達は熱狂する。タブーは次々に破られ、ヒューイーは黒い歌姫フェリシアと禁じられた恋に堕ちる。社会からは指弾され、若者には支持されても、二人には絶望の日々。
黒のジャズやリズム・アンド・ブルースと白のカントリー・ウェスタンは混ざり合い、ロックン・ロールが誕生し、やがてプレスリーが華々しく登場するが、テレビカメラの出現にラジオは力を失い、二人にとって安住の場所はない。
アンダーグラウンドの黒人音楽が、テレビカメラの正面におどりでても、人種差別がなくなってもあのメンフィスの街にあった情熱は見当たらない。
MUSICAL MEMPHISは2010年のトニー賞を獲得し、史上最大のロングランとなったコーラス・ラインを上演したシューバート劇場で2009年10月17日以来上演をつづけている。白人と黒人と音楽のトライアングルを学ぶには絶好の舞台だ。
白と黒と恋とロックンロール
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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