登水子と真理子

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 パリに行くならこれ面白いから、と言って紀伊国屋書店の田辺茂一さんが一冊の本をくれた。その頃の新宿紀伊国屋には美女が集められていた。本屋に客を呼ぶには美女が必要だというのが、田辺さんの信念、銀座ではヤマハのレコード売り場に美女がいた。やはり社長の川上源一さんがレコードをうるには美女がなによりという考え方だった。いまではセクハラの一言で切って捨てられるが、新宿の美女と銀座の美女、本とレコードにかこつけて若者たちは通った。おおらかな良き時代だった。
 さて田辺さんのくれた本のタイトル「パリの女」アンドレ・モーロア、訳は朝吹登水子、ニコ・ジェスの写真とモーロアの文章が半々のお洒落な本だった。そこには場末の女から奥様、マヌカン、女学生、売春婦、グレコ、ジジ・ジャンメールまでパリの女たちのあらゆる階層が映し出されていた。
 「パリは女の都である。なぜなら女のための男がいる都だから…」正確にいえばパリは、女を理解しようとする男たちのいる都であり、理解される価値をもった女たちがいる都なのだ。…というモーロアの一行にインスパイアーされてパリに飛び立った。
 そして半世紀、サガン、ボーヴォワールの訳者として知られ、自身パリの女であった朝吹登水子の姪、朝吹真理子が芥川賞を受賞し脚光をあびている。若かりし頃の登水子のイメージにだぶり、黒のカットソーに身を包み、ボブの黒髪に顔を半分隠した真理子はちょつぴり神秘的な雰囲気を持ち、いかにも朝吹家のお嬢様といった風情で学芸記者の人気を集めている。「きことわ」を買い求め読んでみた。何も起こらない。何のドラマもない。ともに葉山の別荘で過ごした二人の女、永遠子と貴子の25年の歳月がたんたんと繊細な描写で綴られていく。作文の名手だということはよく判った。大説ならぬ小説なのだからともいい聴かせてみた。ある評者がいっていた「日本文学の衰えがここにある」これが芥川賞かというなえた気持ちが残った。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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