癌・新薬丸儲けのオプジーボ

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癌・新薬丸儲けのオプジーボ
  癌の治療薬については、昔から色々と言われてきた。
 半世紀前、小諸の病院の先生が、「サルの腰掛」なる茸から抽出した成分が、癌にきくというので話題になったが、厚生省が認可せず結局民間がかってにやっている試薬ということで葬られた事例があった。
 癌を宣告された患者にとって、目の前の死から逃れられるかもしれない薬とあれば、その薬を手に入れようと
努力して当たり前、結局大手メーカーと大学の先生から離れたところで開発したというのが、厚生省の機嫌を損ねたのだ。
 薬の世界は不思議だらけだ。
 製薬会社が作っているのだから、当然メーカーが値段を決めているものと最近まで思っていた。ところがどつこい官僚が決めている、社会主義国なみのカラクリとはおどろいた。厚生労働省の中央社会保険医療協議会というところが藥価を決めているのだ。
 新薬開発にいたる道のりは大変だ。
 まず実験動物や実験室で育てている細胞を使って非臨床実験をする。そこをクリアすると、患者や健康体を使い効果や安全性について実証する。その上で専門機関での検査をうける。
 すべてを無事通過したのち、厚生省の保険医療協議会によって値段が決められる。その期間は9年から長ければ17年かかるといわれ、その上新薬としてデビューできるのは2万分の1の確率であると言われている。
 いま癌の新薬として「オプジーポ」か話題になっている。
 オプジーボは高額で1年投薬すると一人当たり3500万円に上ると言われ、当初そんなに需要はないだろうとふみ、世界最高の値段を設定した。100ミリグラム当り、約73万円、アメリカでは30万円、イギリスでは14万円、日本だけが突出して高かったのだが、患者が殺到し、保険医療の根幹を揺るがす事態となった。自分等できめた薬価に首を絞められそうになったのだ。慌てた厚生労働省は算定基準を見直し、17年2月から50パーセントダウン、通販の割引みたいなことを発表した。
 医は人のためという当たり前を忘れ、医を利益の道具とした医者、官僚、製薬会社の目論見がまんまと外れた癌新薬騒動である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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