男性議員 育休獲得に走るの巻

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 國会議員と國会議員が恋をした。 そして結婚した。 デキ婚だった。
 男の議員は前科一犯だった。前の相手は派閥のボスの娘だった。その娘も國会議員だった。
 娘はボスの父親の背中を見て育った。父は家庭を顧みることもなくひたすら政治に没頭し、派閥のボスにのしあがった。娘も父に習って政界の厳しさの中で、自分を律し、夫にも政治家としての覚悟と生活態度を要求した。
 男は耐えられなくなって、離婚してしまった。
 身長188センチのイケメンの彼はもてた。 自民党青年局の次長にまでなった。
 そこに登場したのが、新潟きものの女王であり、ミス日本関東代表にもなった美しすぎる女性議員だ。 議員は地元テレビ局のバイトをしていたが、その美貌に眼をつけられ、市会議員となった。一年たつと、さらに眼を付けられて県会議員に転身した。その上、またまた一年で國会議員に転身した。肩書から肩書へと蝶々のような政治生活だった。
 美しすぎる國会議員は、たちまち青年局次長の188センチと仲良しとなり、妊娠を果たし、結婚したという次第だ。
 再婚の彼は、初婚の失敗を糧に、政治家としてなにかをやらねばと覚悟した。
 いろいろと考えた末、國会議員法に育児規定をつくらねばと、國会議員の育児休暇をとれる会をたちあげた。女性は出産休暇をとれるのに、男性議員に育児休暇がないのがおかしい、というわけだ。
 男議員の名は宮崎謙介。
 まもなく出産休暇をとる予定の彼女は勿論よろこんだ。 女議員の名は金子恵美。
 テレビのワイドショウで、議員の育児休暇が話題となった。女子アナあがりのコメンテーターは素敵なことよね、とはしゃいでいた。男性コメンテーターはその間に重大な国事があったらどうするんだ、と気色ばんでいた。女子アナはそのときだけ行って投票したらいいじゃない。 大臣や総理大臣には休みはないし、日本国はずっと動いているんだから、國会議員は其のくらいの覚悟がなくちゃ困るんだよ。
 議論は平行線だったが、MCの女性の「時代は変わったということでしょうか」で一件落着してしまった。
 國会は婚活の場、もしくはハローワークの場に墜ちてしまったのだろうか。
 いずれにしても國会、ひいては政治が軽くなつたことだけは、確かなようだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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