世間の眉目を集める職業の男たちを標的に群がる女たちはまず信用できない。自分に甘く、乃至は自分を過信して男を選ぶ。分不相応なお姫様きどりの人ほど、幸いが薄い。
華やかな女子アナ稼業の人々の不運な人生も数多く目撃してきた。ある世代の女子アナたちは「高収入は絶対にお医者さま」とばかり、もつぱら医者の卵と合コンを重ねた。やっとで結婚したお医者さまの関心は、職場のワイフたる看護婦に移り、嘆きの日々を送っている元女子アナも少なくない。
世間知らずのわがまま娘も当世IT企業の社長と聞いただけでころりといく。六本木ヒルズのアパートというのに弱い。わがままという自分の特質を客観的に見ることが出来ない。眼を直し、鼻をもった自分を忘れ、ツイッターで元夫の不倫をばらす、というとんでもない女もでてきた。
婚期遅れの女も見る目を失いがち、何処から見ても失格者と思われる安全地帯の泥沼に堕ちた青田典子。出来婚の常習犯、広末涼子などもいい例、あたしは皆と違うとでも思っているのか、ともにヘアヌードまで披露した梅宮アンナも決まって破局後には逮捕される男を選んでいる。同じ様な処に矢田亜希子、酒井法子、がいる。
自分を優先して一時的な気分で結婚に走った浜崎あゆみ、お相手はオーストリアの俳優というが、スクリーン上での演技力はまったく未知数、ハイパーメディア・プロデューサーと称する良く解からない職業の男を選んだ沢尻エリカ、キモイと言ったり、別れるといったりほとんど難破船状態なのだ。
仕事上でいっときでも成功体験がある女は、ダメンズをみると私がなんとかしなくちゃ、私がなんとかしてあげるわ、私がいないとあの人は駄目なの、とオーバーヒートしてしまうのかもしれない。男を見る眼がない女は、打たれ強い女だとも云われるが、鏡の前でもういちど自分をゆつくり見ることが肝要だろう。
男を見る眼がない女たち。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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