友人と久しぶりに美味い食事を、ということになった。
フレンチだのイタリアンだの、いろいろあるが、季節の変わり目に改まって食べたくなるのは、やはり日本料理に限るというので、クルマを飛ばし、北信は須坂まで行こうということになった。
須坂には「能登忠」がある。能登忠は北信唯一といってもいい懐石料理の名店だ。
紅葉に彩られた山々を仰ぎながら、一路高速道を走らせた。予定よりも少し早くついたので、白壁の町屋をたどるうちに、田中本家博物館に寄ろうということになった。
田中本家では、江戸時代の料理を再現した食事会など、まゝ催されたりしているが、この処ご縁もうすくなっている。美食ドライブのイントロとして絶好の「江戸豪商の食と器の会」が開かれていた。
田中本家を度々訪れていた殿さまのレシピや膳立て、田中家の主人が食べていた献立など、空腹によく効く数々が並べられていた。信州のこの山奥ではなんと贅沢なという魚類、海老、アンコー、鯛、鰯など、海のものが日常的に食べられていたという事実にも驚いたが、器も繊細な染付から、漆のもの、さらに金襴手の豪華絢爛なうつわまで、大名家を凌ぐその立派さに、今さらの如く江戸豪商のちからに圧倒された。
偶々在館されていた二枚目田中宏和館長さんの洒脱な解説も相まって、シアワセなひと時をいただいた。 秋の庭のオオサカズキも峻烈な朱をたたえ、往く秋への賛歌を奏でていた。
田中本家に時を費やし、あわてて駆けつけた能登忠だったが、茶懐石の微妙な味を堪能して、信濃路を軽井沢へと帰ってきた。
田中本家豪商の料理と能登忠と
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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