田中本家での初めてのトーク・ショウ

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 桃の花が山あいをそめている。
 目の前に広がる白い花はりんごの花だ。とおくにみえる黄色い絨毯は菜の花の知らせ。そんな北信州の景色をわけいって須坂にいってきた。
 豪商の館田中本家博物館までいってきた。
 パリ帰りの写真を7月8日まで飾ってくださっている。フランス人が驚いた日本のちいさな美術館である。小さいといっても10000平方メートルの敷地に20の蔵、本宅、主屋 客殿、離れとともに四季それぞれの庭があるという豪壮な構え、殿様の屋敷よりも立派な生きた美術館である。
 その美術館での第一回のトーク・ショウだ。
作品が展示されているぎゃらりーではほかのお客さんに迷惑がかかるので、「いろりの間」でやることになった。高速道路が怖くて走れないというスタッフも無事機材を運んできてくれた。一間もある囲炉裏をかこんで30畳ほどの広間に椅子を持ち込んでのトークショウとなった。
 すべての写真作品を映像化し、解説を加えながらの時間である。庭との仕切りが障子で、暗くなかったが、新十郎館長のアイディアで農業用黒ビニールを張り巡らし、完全な暗室を出現させていた。 映像にとってはこの上ない環境だった。が、終りまでお客様の顔が見えず、灯りが付いて初めてお客様の表情を認識するという不思議体験だった。
 巨大な藍の作家としてインターナショナルな活躍をされている福本潮子さん、染色家であり哲学者でもある福本繁樹さん夫妻は遠く京都からきてくださった。 野沢温泉に住む外人さんや、湯田中の旅館の女将、あるいは北志賀工房の仲間とともにきてくれた陶芸家の藤本勉さん、香道の野池重子さん、テレビ朝日社友会にいた岸幸織さんなど、多くの友人たちが足を運んで下さり、とても嬉しかった。田中宏和御当主の心ずかいもひどく嬉しかった。
 案内を受けた方は迷惑かもしれないが、こうした作品展が人との縁をつないでくれて、感謝以外のなにものでもない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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