「やさしい」「よりそって」「褒めて育てる」とか、われらの少年時代には想像もできなかった。
おかげで警官に銃を向けたり、友人をコンクリート詰めにしたり、白昼銀座の宝石店に押し入ったり、話題は狂暴な犯罪だらけである。
「本人には犯罪の認識はなく、バイト感覚でおこなったのではないか」そんな解説を識者がシレッとテレビで語っている。
「雷おやじ」は座敷であぐらをかき、横丁の「うるさいご隠居」は子供たちに恐れられていた。
がそうした親父たちは、公園で遊ぶ子供たちを「うるさい!」と怒鳴らなかったし、近所のお寺の鐘にも「うるさい」とは言わなかった。路地に持ち出した縁台に座り、通り過ぎる子供たちに注意したり、喧嘩の成敗をしたりして、けっこう子供たちにも人気があった。
すぎる夏、軽井沢では「花火がうるさい」と怒鳴り込み、千ヶ滝から夏花火が消えた。
コンクリートの反射熱にやられてぐったりとした身体には、軽井沢の夏の迎え花火はシアワセの花火だったが、とある別荘老人のクレームから花火のシアワセは消えた。
この春、ネットを賑わしたうるさい問題に「田んぼの蛙」がある。耳を疑ったが、田んぼの蛙がうるさい、とまともにクレームをつける大人がいるということに愕然とした。日本人の自然回帰思想はどこかへいってしまった。風情喪失のエゴイストだらけの時代、米を食べて生きているという原風景すら忘れてしまった人非人がいるということに驚いた。
うるさい、煩い、五月蠅い、…うるさい顔のあたしはどうしたらいいのだろう。イビキのうるさい俺のよこで50年添い寝してきてくれた女房になんと言ったらいいか。本当にへんな世の中になった。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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