軽井沢には生活改善という名の委員会がある。
そこでの申し合わせ事項というのがくばられてくる。よく見ると、冠婚葬祭についての注意が九割方で、祝いごと、病気見舞い、葬儀、法事はなるべく簡素に金を使うなというのが、趣旨になっている。とくにすべてにわたってお返しはしないように、とある。
葬式の香典は1000円以内、その上香典返しはしないように、新盆の法要にもお供えをださないように、お返しもしないように、法事は簡単に、とある。
遠州大念仏を思い出した。諏訪湖に発する天竜川の下流域にある盆行事だ。
浜松から天竜をのぼった数ケ町村にわたった地域で何百年続いている盆のみたま供養だ。新佛のでた家ではみな迎え火を焚いているので、すぐ判る。地域の集落から70以上の念仏隊が、仏の供養にまわる。
小さな念仏隊は10人内外、大きい念仏隊は40人、50人に及ぶ。歩いてまわるのから、リヤカー、マイクロバス、大型観光バスまで色とりどりだ。念仏隊の規模、衣裳などすべては各隊のマネージャーの腕次第。引手を先頭に頭、幟、大きな銅鑼、押し、供回り、笛、摺鉦、太鼓、供回り、押しが、揃いの衣裳で新盆の庭先に揃う。念仏を唱え、歌枕を唱和し、太鼓を打ち鳴らし、念仏踊りを佛に供養する。念仏隊は一晩中次々とやってくる。あいだには年寄組のご詠歌隊もくる。新仏の家の庭は劇場となる。
この世とあの世がひとつになり、魂を通して命の永遠が演じられる。大念仏は生きる力をうみ、死者への感謝とともに明日への加護となって、遠州の山々にこだまする。新佛の家族はその年の収穫や収入をすべて、念仏隊のもてなしに供し、念仏隊もまたそのための衣裳や楽器や経費に、みずからの労働を供する。 仕事の報酬と魂の供養とが一体化している。
軽井沢の生活改善はちかごろの生活合理化思想だが、遠州大念仏には生命への感謝と時空を超えたキズナが生きている。はて正しい日本人はどちら。
生活改善と遠州大念仏
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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