オペラ・ガルニエのバレエと、オペラ・バスティーユのオペラはなるべく観るようにしている。
なぜならパリ・バレエもオペラも圧倒的に新しいし、時代とともに生きているからだ。
モスクワのボリショイも、ウィーンのスターツオーパも腐ってしまって、時代から取り残された遺物になっているので、その作品からなんの啓示も受けない。
ベルグの「ルル」は巨大な赤い唇に蠱惑された。ヘンデルの「シーザー」には、博物館の倉庫を舞台にした展開に少しも古さをかんじなかったし、あの時代の唱法を復活した音楽にも心動かされた。
バスティーユのあの広い舞台いっぱいに造られたヴェニスの埠頭に、真赤な帆船が二艘入ってきたときは、「ジョコンダ」の時の踊りに歴史の風景が重なった。
今シーズン気になったのは、モーツアルトの「魔笛」だった。日本ではお決まりの如く、童話風の演出が多いが、ふと見た魔笛の森は真赤に燃えていた。
そんなきっかけで足を運んだバスティーユだったが、案の定そこにある「魔笛」は、いままでの「魔笛」とは似ても似つかない「魔笛」だった。かねてからこの作品について言われていたフリーメーソンの精神のオペラ化といった側面がかなり感じられた。
美術は映像主体で、ホリゾントに向かって大中小三つのスクリーン、同じ森が春夏秋冬に四季を描き、スコアのタイミングで鳥が飛び立ったり、無数の枝にかえってくる。
後はみどりの大地と地下の闇をつなぐ三十段の階段、なによりもコーラス衣装の黒と白が印象的だった。王子タミーノは白いスーツのちょいワル親父、娘のパミーナは白いキャミソールにフレアスカート、唯一鳥刺しのパパゲーノだけが、バックパッカーのリアルクローズといった今の時代の大人の物語に演出されていた。
ここにあるジングシュピール歌芝居は現代の大人のものがたりだった。
生き返った「魔笛」の新演出
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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