生き続けてほしいアドリアーナ

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 「アドリアーナ・ルクヴルール」を観た。 初めてフランチェスコ・チレアの音楽を聴いた。
 コメディー・フランセーズに実在した女優の実話をオペラ化した作品であるという点にも興味をもった。
 この夜、アドリアーナを演じた木村珠美さんもなかなかの力演で、とても良かった。
 特筆すべきは指揮のフランチェスコ・ディ・マウロがたんたんときっちりした棒を振っていたし、それに
市川オペラ管弦楽団はしっかり答えていた。メッシーナ歌劇場から帯同したヴァイオリンとヴィオラの奏者も
溶け込んで豊穣な音を聴かせてくれた。
 こうした地方オペラの公演を左右するのは、ひとえにプロデューサーの見識にかかっている。その都市の実情を見据えながら、外の血を必要最低限入れることで、きちんとした作品に仕上がる。どこまでの水準を望み、なにをカットするかの判断が、地方におけるオペラの成否をきめる。そうした面からもプロデューサーの見識が問われる。経験豊富な木村珠美というプロデューサーを得ていることで、市川オペラは信用を獲得しているのだろうと推察される。
 こうした中世の類型的な恋模様を描く時、最近の欧米オペラでは、現代性を確保するのにいろいろな工夫をしている。装置はまずリアルを排し、素材や色彩において時空をこえたモダンな美術をとりあげる。その意味では衣装に於ける色彩とシルエットもモダンに処理し、主役と個性的な狂言回しに少しの色彩をつかい、そのほかのコーラスや脇役からは色彩を追放し、オフホワイト、うすいグレー、極端におさえたパステルカラーなどで、物語に必要なものだけで創りこんでいく。そのうえで照明にシャープなドラマ性を要求するのだ。そうすることで作品の主題がイマに通用するようになる。
 いずれにしても、こうした地方オペラをあるレベルで制作し続けるのは至難の技だ。どこまでプロデューサーのカロリーが持てるかが成否の鍵となる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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