真夏に大福を食べるのは暑苦しい。
でもカラダはほどほどの甘さも要求するので、メタボに眼をつぶって甘味に手をだす。軽井沢は涼しいリゾートが売りなので、夏の冷菓とよべるようなものはない。氷やが二、三軒あるだけだ。ピータースというケーキ屋がだしている、桃をまるごとゼリーで包んだ季節の菓子は、暑いとき結構いける。
うだる暑さの京都では、祇園祭りのときだけ作っていた亀広永の「したたり」という菓子がある。黒糖の甘みを寒天でとじこめた琥珀羹で、いかにも涼しげだ。もとは祇園祭の鉾のなかでただ一つ茶席をもっている菊水鉾のために創られた夏のお菓子だ。
祇園町の女将さんが暑いときに手土産にするのは、鍵善良房の水ようかん「甘露竹」。細い青竹の節から12、3センチ程を切り、なかに甘みを抑えた水ようかんが入っている。節に小さな穴を開け、反対側から吸うと水ようかんがするりと口のなかに滑り込む。ツメタク冷やした甘露竹は座興にもなり、夏の冷菓としてこの上ない。
亀屋則克には夏限定の涼菓「浜土産(はまづと)」がある。ほんもののハマグリの貝殻に入っている。浜納豆のひとつぶを核に、寒天と砂糖を煮詰めたものがいっぱいに詰っている。どういう風につくったのか不思議だが、いかにも京都らしい手のこんだ涼菓だ。ハマグリを割り開いて片方をスプーンにしていただく。よく冷やしていただくと、琥珀糖の甘さと納豆の味噌風味が、口いっぱいに広がってシアワセだ。昔はハマグリも大きかったような気がするが、磯辺のおとろえと共に、浜土産も小粒になってしまった。
こうした季節の菓子の贅沢は、世界中どこを探してもない。
琥珀色の夏菓子
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す