是非聞いて欲しい、というメッセージ付で一枚のCDが送られてきた。
いまこの全聾の作曲家が大変な反響を呼んでいるという。交響曲第一番HIROSHIMA とあった。
聴いたところ陰々滅滅とした調整音楽で、80分は拷問だった。これだったらマーラーを取り上げた方がましなのではと進言し、その企画はナシになった。
全聾の作曲家は佐村河内守という名前だった。被災地のためのレクイエムとか、耳が不自由でも作曲できるとか、ベートーベンの晩年になぞらえて物語は完璧に作られていた。
NHKスペシャルが絶賛という証明書をつけてCDは売れに売れた。クラシック界空前の18万枚、魂の旋律━音を失った作曲家と、NHKはあおりに煽った。
よもやこの作曲家が譜面も読めない詐欺師とは、指の先ほども考えなかったのだろう。すべては桐朋学園大の講師新垣隆がゴースト・ライターを勤めていた。18年間もの長い間、佐村河内守との関係は続いた。
講談社もNHK出版も日本コロンビアも、広島市もこれを演奏したいくつかの交響楽団も、みんな騙された。
そしてなによりもこの曲に感動した多くの市民が、一番の被害者かもしれない。音楽に罪はないという作曲家もいるが、なんでもかんでも美談仕立てのお話に作りあげるメディアの商売に組したくない。
現代のベートーベンという名のペテン師
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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