今年もニコ動超会議のイベントとして、中村獅童と初音ミクの超歌舞伎・花街詞合鏡が上演された。
オリンピック2020のイベント狙いであることは明らかだが、とりあえずなかなかに面白かった。アナログの権化たる歌舞伎と、デジタルの最新技術イマーシブテレプレゼンス技術「Kirari」が混ざり合い、重なり合っての見世物は、結構退屈させずに観客を引きずり込んだ。
今ラスベガスを席巻している超アナログだが、観客の想像力をこえたシルクドソレイユ・サーカス・レビューに対抗するには、この方向しか日本にはないと思わせた電気妖術歌舞伎だった。
何百年もかけて歌舞伎がようやく獲得した文学性や芸術性をあっさりと棄て去り、見世物の一点に突っ走るには、中村獅童や尾上松也のようなメディア大好きの次世代役者に期待したほうが良いのかもしれない。
なにしろそこに登場するのは、定番花魁道中であり、廓の奥の色模様であり、お決まりの連れ舞であり、お約束の段取り大立ち回り、獅童演じるところの八重垣紋三と、沢村国矢扮する蔭山新右衛門の果し合いもまったく珍しくなく、さもありなんといった類型台本なのだ。
歌舞伎に限らず近頃の若い役者たちの文学性の欠落は恐るべきものがある。大衆に注目され、話題になりさえすればそれで充分、情報化社会の餌食になって無残にも消費されていく自分の姿が全く見えていない。伝統も丸裸になってグラビア・アイドルのごとく、明日は忘れ去られてもかまわないと、思っているのかもしれない。
さてアナログに囲まれた初音ミク大夫について書かねばならない。初音ミクも重音テトも動きの滑らかさでは格段によくなったが、台詞がはなはだ良くない。
36メートルにぎっしりと並べた240台のスピーカーによる波面合成技術も、こけ脅かしの効果音には有効だったが、芝居の台詞になっていない初音太夫のセリフにはお手上げだったようだ。
NHK歴史ヒストリアの井上あさひの大根ぶりに匹敵するダメ芝居だった。
面白かったのは、ホログラム映像とニコニコ生放送のコメントを舞台演出とオーバーラップさせて同時に見せる世界初の試みだった。少々うるさがったが、コメントのリアリテイと大向こうの掛け声があいまって観客を興奮に導く。萬屋! 紀伊国屋! 初音屋! 電話屋! ……
拡張現実にはめられた「オリンピック用見世物超歌舞伎」であった。
獅童と初音ミクの超歌舞伎
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す