猿翁、猿之助、中車、團子 襲名

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 三代束ねて襲名興行は珍しい。
 苦労してスーパーカブキを作った三代目猿之助は猿翁を名乗り、才人亀治郎は四代目猿之助を襲名、「あなたは私の息子ではない」と縁切りされていた46歳の香川照之が中車を襲名、息子の政明が團子を名乗った。
 襲名披露というのは、どこか華やいで伸びやかに目出度いものだが、この舞台は何かが違う。マスコミの芝居知らずが押しかけて奇妙な取材をするために拍車をかける。前のほうの座席にカメラを向けて、お母さんの浜木綿子さんがいません、と騒ぐ。うしろに発見して、浜さんは後ろでそっと見ていらっしゃいました、とレポートする。当たり前だろう、出演俳優のどこの親や女房が前で見る奴がいるか。そうした芝居常識のない田舎者の女子アナが演舞場の廊下を占領している。
 猿翁は動けない病身なので仕方ないが、まず猿之助が中心のはずが、そこにレンズは向かない。にわか歌舞伎の中車を持ち上げる。六歳の6月6日から、営々と努力して芸を磨いてきたほかの歌舞伎役者がどう思うか自明の理だ。中車の口上には色艶がなく、自分のことだけを一生懸命しゃべる選挙演説のようで、観客ご贔屓への感謝も感じない。テレビや映画とは全く違う間合いが舞台にあるということが理解できていず、歌舞伎役者として喝采をうけるには、まだまだの印象をもった。
 亀さま、亀さまと甘ったるい声で言い寄るかん違い蒼井優の相手、新猿之助は立役のみならず女形もこなす幅広い芸域をもった歌舞伎界のホープだ。一途な女ごころのはかなさと怨念を、見事に演じた色彩間苅豆かさねなど、これから楽しみな役者である。スーパーカブキに閉じ込めてはもったいない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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