猿之助さんへの手紙

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 猿之助さん!! 
 歌舞伎というこの国の芸能にとって、今ほど大事な時はないと思っています。
 「そんなことは充分わかっている。今更何を言うんだ」と返されることは承知のうえで、この事を繰り返します。
 歌舞伎の現状、つまり次世代を担っていく役者衆のなかで、本当に危機感をもって動いていた役者は、猿之助さん、貴方のほかには見当たらない。あなたには歌舞伎の未来を担っていく義務があります。
 カストリ雑誌のような週刊誌の記事に負けないで堂々と発言してほしかった。
 いま市井を賑わしているLGBT論争など、歌舞伎にとっては何百年も前に経験済、そのたびごとに時の権力、幕府の弾圧と闘ってきた。苦難の時をえて今日の野郎歌舞伎が存在するので、昨日今日の性の問題など、歌舞伎にとっては経験済みの小事であり、それを乗り越えて今がある、週刊誌よダマレ!! と言って欲しかった。
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 折角の大名跡を継ぎながら、明日の歌舞伎への想い、役者としての発言はなく、亡くなった妻と、娘、息子を盾にした発信ばかりを続けている團十郎、或はITの仮想女性に埋没してゲームのような芝居にウツツを抜かす獅童、育ちの良さからいまひとつ座長のパワーにかける若手、あるいは趣味の踊りで客が集まればそれでいい、という立女形の重鎮、等々歌舞伎を大所、高所からみて発言する人は本当に少なくなった。
 上方歌舞伎の先頭にたっている仁左衛門、国立劇場を本拠に芝居つくりをしてきた菊五郎さん、いずれも高齢と共に健康の不安を抱え、いちじるしくパワーダウンしている。
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 勧進元の松竹に人材はなく、国立劇場も長期の建て替えに入るのを控え、いま歌舞伎が必要としているのは、あなたの知性と実行力、蓄積されてきた歌舞伎への構想力ではないでしょうか。
 いまさら役者として恥の上塗りはできないと、いうならせめて歌舞伎のプロデューサー、演出として戻ってきて欲しい。歌舞伎界において、いまあなたを失うことはあまりにも残念、1000年の宝を失うことになる。
 猿之助さん、心中穏やかでないと思うが、是非もう一度歌舞伎への情熱を取り戻して欲しい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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