猫の皮が成仏できない

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 三味線、琴、尺八などのロック・グループ「和楽器バンド」がついに見かねて、ファンからの募金を始めた。
 コロナのお蔭で和楽器業界が瀕死の状態だ、という現実に危機を感じて救済にのりだした。
 東京都は「東京三味線」「東京琴」を保護すべき「伝統工芸品」に指定しておきながら、なんの補助もせず放置している。フワちゃんと知事のテレビ・コマーシャルに使う金はあっても、伝統工芸品に使う金はないという不思議な台所事情なのだ。原因はコロナのせいだとわかっていても、補助金は1銭もださない。
 コロナのせいで、和楽器をつかう舞台はほとんど全滅状態である。歌舞伎を始め長唄、清元、地唄などのおさらい会を始め、旦那衆のやる謡の会、お嬢さん方の日本舞踊の会など、和楽器をつかうイベントはほとんど中止になってしまった。
 三味線やさん等は、辛うじて皮の張替えで生活していたのがなくなり、いまや限界商売ぎりぎりで希望は皆無の状態と言われる。
 三味線の胴に張られる皮は痛むので、一年か二年に一回は張り直さなければいけないらしい。津軽三味線などに使われる「太棹」ならば犬の背皮でいいが、粋な音を要求される中棹や細棹は猫の腹の皮でないといけない。それも猫の処女の皮でないと、まぐわう時の爪痕で使えないという事情がある。
 三味線のために、待機している乙女の猫の上皮が、成仏できないで彷徨っているのだ。
 琉球の三線はニシキヘビの皮がつかわれているが、これも東南アジアからの輸入でいつまで使えることか。いま三味線には、羊の皮や、合成皮革などいろいろに試行錯誤しているやにきくが、果たして伝統音楽に相応しい音色を維持出来るや否や、三味線やさんが続いてくれればよいが、猫の皮だけ残って職人がいなくなっては元も子もない。
 和楽器業界は八方塞がりに直面している。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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