猫ひろしがカンボジアで、オリンピック出場権を獲れなくて本当によかった。
しずちやんも女子ボクシングで、オリンピック出場権を逃して本当によかった。
スポーツ選手のタレント化が始まってもう四半世紀も経つだろうか。オリンピックに出たからと言って、すぐにタレントになるという奇妙な図式ができて、困ったものだとつぶやいていた。
芸能プロダクションにスポーツ事業部ができ、電通あたりがオリンピック委員会と組んで選手のコマーシャル出演を企むようになって、事態はますます悪い方にすすむようになった。
猫ひろしについては、かってホリエモンの右腕と称していた渡邊健太郎とその女房が社長をつとめるカンボジア・ドリーム社、さらに猫の所属するワハハ本舗が悪い。にわか国籍をとり、カンボジア五輪委員会に協賛金を支払って、さあオリンピツクに出るぞ、というこのお笑いにクーペルタンの近代五輪精神を説き、辞めさせる知性がひとりもいなかったという事実にも驚く。自分の欲望が最優先する猫のお馬鹿ぶりに、ワイドショウの司会者が声援を送っていたのにもあきれたし、劇団の先輩の久本雅美ももうすこしお利口かと思っていたが、やっぱりただのお笑いだった。貧しいカンボジアで一生懸命走っているアスリート達に本当に申し訳ない。
しずちゃんのボクシングにも困ったものだ。
182cmの巨体から繰り出すパンチにはそれなりの威力はあったろうと推察するが、所詮付焼き刃、2年や3年やったぐらいで、オリンピツクを口にすることが間違っている。日本には重量級の選手がいないので、大会に出ても不戦勝ばかり。だいたい本業の漫才でも、M-1グランプリにでては敗退、松ちゃん辺りからいつもケイコ不足を指摘されていた。南海キャンデーズの漫才はいつも0.5秒遅いといわれていた。ケイコ不足も0.5秒も致命傷なのだ。スポーツをあなどっている、といわれても申し開きできない。
猫としずちゃんとオリンピック
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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